神に憑かれると云ふこと

考えつくままに。じゃっかん支離滅裂ですがおゆるしを。

人間には種類があって、誤解を恐れずに言えば、それは生活者と表現者なのではないかとおもう。人間をおおざっぱに分ければこの二つにわかれるのではないか。
生活者とは文字通り日常生活をこなしていくことに能力を持った人間で、そういう人間がいないことには世の中回っていかないのだから必要不可欠なものである。表現者というのはいわば(程度の差こそあれ)ミューズの神々に愛された人間であって、ほんとうに「天才」と呼ばれるひとびとは神に半ばとり憑かれていたのではないか。何か大きな力に突き動かされなければあんなものたちは作れないのではないか、と思うから、私は神の存在を否定できない。
いくら脳を分解して研究を重ねたとしてそれでもわからない、「神」としか言いようのない部分があるのではないだろうか。それが知りたくて認知心理学を専攻したといっても過言ではない。哲学と心理学は幹を同じくするのである。大学院でも同じ基礎文化研究科だし。結局人間が行き着くのは「神はいるか、いないか」というところだ。


わたしは生活者としては比較的恵まれている方ではないかという自覚はあるけれど、どうせだったら器用さや回転の速さなんかより、少しでいいから神の寵愛が欲しかったな、とも思うのは贅沢なないもの強請りなんだろう。私に微笑みかけてくれるのはヒュプノスくらいのものだ。